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世界イベント:Oshoナダブラーマ瞑想

出典: チベットと中国にもっと自由を

短いURL:event080519

チベットへのスピリチュアルな支援について

OSHOの弟子たちが5月19日のブッダ・プルニマの日に世界規模の瞑想イベントを企画

 5月19日(2008年)のブッダ・プルニマ(満月の夜[1])に世界中のOSHOを愛するひとたちがチベットをスピリチュアルに支援する瞑想イベントを開催します。これは政治的なイベントではありません。人類の意識を引き上げ、チベットが本質的に体現している瞑想と精神性(スピリチュアリティ)を支援/サポートするための瞑想イベントです。

 OSHOは中国あるいは中国の人たちに対立しているわけではありません。彼はスピリチュアルな自由を支持し、この自由を許さない人たちに反対します。OSHOは老子や荘子、そのほかのタオイストたちのような古い中国の神秘家たちを愛しています。プーナでは老子から名前を取った家に住んでいましたし、タオと、タオの3つの宝についてたくさんの講話を行いました。OSHOは仏陀、マハヴィーラ、クリシュナ、イエス、ツァラトゥストラなどありとあらゆる神秘家たちのことを喋っていますが、なおもこう言います。

 「私は老子についてはまったく違ったように喋る。私は彼に関わりがない。関わるというだけでも距離が必要なのだから。私は彼を愛さない。どうして自分自身を愛せるだろう。老子を語るとき、私は自分自身を語るかのように話す。彼と私の存在は完全にひとつだ。老子を語るとき、それは鏡の中を覗き込んでいるかのようだ—自分自身の顔が映っている。老子を語るとき、私は完全に彼と一緒だ。『完全に一緒』と言うことすら正しくない—私は彼で、彼は私。」

 続けて、「歴史家たちは彼の存在について懐疑的だ。私には彼の存在を疑う事はできない。どうしたら自分自身の存在を疑う事ができる?私が可能になったその瞬間、私にとって彼は真になった。彼は決して存在しなかったと歴史が証明したとしても、私にとっては何の違いも生み出さない。私が存在するのだから、彼もまた存在したに違いない—私がその証拠だ。(中略)私が老子を語るとき、それは他の誰かのことを語るのではない。私は自分を語る—まるで老子がある別の名前を通して、ある別のナマルパ、ある別の生まれ変わりを通して語っているかのように。」

 いま、もっとも偉大でスピリチュアルな神秘家たちを輩出したその同じ中国が、(自国の一部であると主張している)チベットという近隣地域で花開いたスピリチュアリティと神秘主義を押しつぶしています。チベットは中国の一部であるかもしれないし、そうではないかもしれない。しかし、真理の探究者たちと世界中の深い瞑想を体験した人たちにとっては、チベットは単なるひとひらの土地、地理的な場所ではなく、もっと大きな意味をもっています。それは瞑想と仏陀の意識を体現しているのです。世界政治はこの世界に平和をもたらすことに惨めにも失敗しました—それどころか、これまでも、そしていまも、世界中のすべての戦争の原因であり続けています。

 私たちは全世界の知的で平和を愛する人たちが一緒になって瞑想し、人類の意識を引き上げることができるように招待します。5月19日のブッダ・プルニマの日に、チベットの方法に基づいてつくられたOSHOナーダブラーマ瞑想をやりましょう。

目次

[編集] 日本語のサポート・ページ

[編集] 開催の場所

特に決まった場所でする必要はありません。19日の満月の夜に、好きな場所でナーダブラーマ瞑想をしてください。チベットと地球全体で同じ瞑想をしている人々を思いながら。

なお、一緒に瞑想をすることが出来るように会場を用意してくれた有志の方々がいます:


[編集] これが手法です:

Oshoナーダーブラーマ瞑想は、もともと午後の早い時間に行われていた古代のチベットの技法に基づいていますが、一日のうちどの時間に行ってもよく、ひとりでもグループでもすることができます。この瞑想は一時間で終わり、3つのステージに分かれています。ハミングと気づきのステージ、続いて流れるように円を描く手の動きのステージ、そして静けさのステージです。

[編集] 最初のステージ:30分

目を閉じ唇を合わせてくつろいだ姿勢で座ります。あなたの全身が振動するよう他の人にも聞こえるくらいの音量でハミングを始めましょう。ハミングの振動で満たされた空洞の筒や空っぽの血管をビジュアライズ/想像するのもいいでしょう。ハミングがひとりでに続いていて、あなたは聞き手である、という地点がやってきます。特別な呼吸法はありませんし、そうしたいと感じたら、ハミングの音程を変えたり、からだをゆっくり穏やかに動かしても構いません。

[編集] ふたつ目のステージ:15分

ふたつ目のステージは、ふたつの7分半の部分に分かれています。最初の半分は、手のひらを上に向けて、外向きに円を描くように動かします。へその位置からはじめて、両手を前に出し、そこから左右に分かれて、うつし鏡のようにふたつのおおきな円をつくります。その際、動きはとてもゆっくりと、時にはまるでまったく動いていないと感じるかのようにおこないます。あなたが宇宙に向けてエネルギーを放出し与えていると感じてください。

7分半がすぎたら手のひらを下に返して、反対方向に動かし始めます。このとき両手はへそへ向けてくっついて行き、からだの両側へ向けて外向きに離れていきます。エネルギーを取り入れているように感じてください。最初のステージと同様に、からだの他の部分のゆっくりとやわらかな動きを邪魔しないように。

[編集] 三つめのステージ:15分間

座るか横になって全く静かでじっとしています。

[編集] 音楽・情報

この瞑想のための音楽は多数のOshoのウェブサイトで入手可能です。

など。

解説やデモのビデオ

他にも情報が欲しい方はスワミ・チャイタニヤ・キルティまで連絡してください。(英語になります)

  • oshoglory@yahoo.com
  • chaitanyakeerti@hotmail.com

[編集] オショウが語るチベット

 だが、不幸なことに、チベットは暗黒のなかに堕ちてしまった。僧院は閉鎖され、真理の探求者たちは収容所で強制労働を課せられている。ひたすらひとつのポイントに働きかける気風をもつ世界で唯一の国、内界への探究に捧げられる知性のすべてとその宝が、共産主義者によるチベットへの侵略によって終わりを迎えつつある。

 それに対して異を唱える者がいないとはなんと醜い世界だろうか。それどころか、中国は大国であり、強大なパワーを有しているので、中国よりも大きなパワーを有しているアメリカのような国でさえ、チベットが中国の一部であることを認めてしまっている。それはまったくのナンセンスだ。ただたんに中国の力が強大なために、誰もが中国の側につきたがっている。ソビエトもアメリカも中国の主張に疑問を呈しなかった。アメリカとソビエトはともかくとして、インドでさえ異を唱えなかった。チベットは実にすばらしい実験場だった。そしてチベットには戦うための武器もなく、戦うための軍隊も有していなかった。それは彼らの念頭を決してよぎらなかった。内なる巡礼こそが彼らのすべてだったのだ。

 人間の実存を発見するためにこれほど集中的な努力が払われてきた場所はどこにもない。チベットでは、どの家族もその長男をどこかの僧院に送り出したものだ。彼はそこで瞑想し、目覚めの近くまで成長してゆく。少なくとも家族の一人が全身全霊を挙げ、1日24時間内なる実存に働きかけていることは、家族全員の喜びだった。彼らもまた働きかけてはいたが、食べ物や衣服や住処を作らなければならないので、すべての時間を捧げるわけにはゆかなかった。チベットではそれはむずかしいことだった。気候があまり好適ではないので、チベットでは並大抵のことでは暮らしてゆけない。だが、それでもなお、どの家族もその長子を僧院に差し出したのだ。

 もし人間にもう少しの気づきがあったなら、チベットは解放されていただろう。それはこのおよそ二千年間を、ただひとえに瞑想のなかにより深く入ってゆくことに捧げてきた唯一の国なのだ。そしてチベットは全世界がぜひとも必要としている何かを教えることができる。

 チベットは、人間の内なる探索に携わる実験施設として残しておかれるべきだ。ところが、チベットへのこの醜い侵攻に対して声をあげる国は世界のどこにもない。そして中国は侵攻しただけではなく、チベットを自国に併合してしまった。今や現代中国の版図のなかにチベットは含まれるようになった。

 私たちは世界は文明化したと考えているが、誰にも何の害も及ぼしていない無垢な人々が壊滅的な打撃を受けている。そして彼らとともに、全人類にとってこの上もなく重要な何かが大きな打撃を受けている。人間のなかに多少なりとも文明的なものがあったら、あらゆる国が中国によるチベットの侵略に対して立ち上がっていたはずだ。それは物質による意識への侵略だ。それは物質主義による精神霊的な高みへの侵略だ。

オショウ『オーム・マニ・マドメ・フム』#1

[編集] 参考

[編集] 脚注

  1. 日本時間での満月は5月20日の午前11時11分ですが、20日の夜には既に満月が欠け始めているため、月が満ちる直前の19日の夜に満ちゆく月のエネルギーと共に瞑想を行ったらどうかという提案がでています。